月刊ミュージックトレード(ミュージックトレード社)に連載した
コラムのバックナンバー

2004年3月
中国人留学生、エレクトーンに関する修士論文を完成
深見友紀子(Yukiko FUKAMI)

 五年前の平成十年には五万千二九八人だった留学生が十五年五月には十万九五〇八人に達し、その七割が中国人であるという文部科学省の調査結果がでた。外見では日本人と区別できないので目立たないが、富山大学でも経済学部と工学部を中心に中国からの留学生は急激に増えている。全学部の学生を対象にしている一般教養・音楽の時間に中島みゆきの「夜会」のビデオを見せた際、登場した中国人医師の台詞(日本語字幕無し)に教室の至る所でクスクス笑いが起こったぐらい。それほど多い。
 今月紹介する李楽友くんという二十七歳の若者もそうした中国からの留学生の一人である。彼は九九年に中国北部の瀋陽音楽学院の電子オルガン専攻を卒業し、日本にやって来た。日本語研修を終えて大阪教育大学の研究生だった時に、エレクトーンを勉強できる大学院をインターネットで調べて私の研究室を探し当てたという。瀋陽市と富山市は友好都市であり、富山空港から直行便もある。エレクトーンの演奏力を磨きたいのなら音大がよいだろうが、神戸大学の菊池雅春先生も定年退官されたし、大学院となるとひょっとしたら私しかいないかな・・・。さまざまな縁が重なり、彼は富山に来ることになった。
 居酒屋チェーン店「和民」の社長が、「中国人に面接をすると、会社に入ったらどの地位まで昇れるのかと口々に聞く」と言っていたが、李くんも、「僕は演奏はあまり上手くない。でも、MIDIやコンピュータ、電子楽器全般についての知識が優れていたので卒業後すぐに音楽院のスタッフとして残ることができた。修士号を取得して中国の音楽院でいい地位に就きたい」と率直に言う。はっきりとした目的意識を持たない大抵の日本人学生とは対照的に、経済成長に伴い進学意欲が向上している中国の若者は、より高収入の職に就きたいという意欲も高い。しかも、私の知る中国の若者は日本人より礼儀正しく謙虚。李くんもどこかに行く度にお菓子を買ってきたり、中国式の厄よけの飾りをプレゼントしくれたり、正月にはパソコンの上に折り紙の鶴を飾ったり、休み明けには研究室の床を拭き掃除してくれたりする。
 大学院での勉強は、「全日本電子楽器教育研究会」の論文集などを収集し、日本の情報を知ることから始めた。でも、折角来日したのにずっと富山にいたのだけでは実際の教育現場を見る機会はない。そこで、事務局の浜田隆樹さんにお願いして、洗足学園大学の電子オルガンアンサンブル演習やコンサート、窪田宏さんのコンサートなどを見せていただくことにした。李くんはその都度夜行バスで富山から東京に通ったが、7時間もかかるのに、「早いですね。あっという間です」と苦にならない様子。さすが広大な国土に暮らす中国人だ。
 彼が完成させた修士論文のタイトルは、「中国の電子オルガン教育のカリキュラム改革に対する提案〜電子オルガン・アンサンブルの導入を中心に〜」である。拙い日本語で書かれた論文の中身から推測するよりもはるかに多くのものを学んだに違いない。帰国後は大連大学で教鞭をとることが内定している。
 中国に戻って最初に取り掛かりたいのは、電子オルガン専攻のカリキュラム改革であるという。彼によると、上海音楽学院を除くすべての音楽院では、まだソロ演奏とそのための編曲が中心の画一的なレッスンが行われていて、アンサンブルが実践されることはなく、コンサートでも一台のエレクトーンと声楽あるいは伝統楽器などといった組み合わせがみられるに過ぎないらしい。
「僕自身も、二台のエレクトーンアンサンブルと、ヴァイオリンとのデュオぐらいしか経験がなかった。洗足学園のコンサートで、複数台のエレクトーンとさまざまな楽器とのアンサンブルを見た時、中国でもやってみたいという気持ちが湧き上がった」指揮者が存在するアンサンブルもやってみたいし、得意のMIDIやコンピュータ関連の科目も充実させていきたいという。彼がこういった計画を話す時、必ず三年間で、五年間でといった具体的な目標を口にする。日本の電子オルガン教育ものんびりとしていたら、あっという間に中国に追い抜かれるかもしれないなぁと思う。
 日本では子どものための音楽学習楽器として誕生し、その後徐々に大学機関に導入されたエレクトーン。中国では大学から入り、現時点ではまだ子どもたちの間には広がっていない。この“逆ベクトル”の行く先は社会学的になかなか興味深い。
 李くんは最近、ヤフーのオークションでエレクトーンEL-90とEL-87を一台ずつ落札した。これまでに九十数件の物品を落札している彼も楽器は初めて。「この二台があれば大連で音楽教室が開けますから」とうれしそうに話している。この落札劇と大連に運ばれることになった運命のエレクトーンについてはまた来月報告することにしよう。

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