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 深見友紀子のワーキング・ノートブック(2009~2014)は、2015年3月をもって終了しました。次は、ワーカホリックの私が隙間の時間で取り入れている、オーガニックフード、ヨガ、アンチエイジング医療、化粧品、アクセサリーなどに関する情報をお届けする新しいブログを計画中です。

ミュージック・ラボ開業20周年

 2月14日

 東京都新宿区若松町38-20に「深見友紀子ミュージック・ラボ」を開業して、きょうで20年です。

 今までに存続の危機が2度ありました。

 1回目は、開業翌年の1993年夏、地下の排水ポンプが故障して、楽器類が浸水したときです。この年は、双子の出産で次男が亡くなるなど、不運な一年でした。
 
 しかし、不幸中の幸いというか、原因は集中豪雨だったものの、100%人災という判定が下り、保険金(修復工事代金250万全額)が出たうえに、10%の見舞金までもらい、そのお金で「慰安巴里旅行」へ!

 2回目は1996年春、遠隔地にある富山大学の助教授に採用されたとき。一般的に定職に就くと、「内職はポイ!」する人がほとんどですが、私は続けることにしました。
 
 人間は、あることに10000時間かけると、一流になるらしいです。おそらく、私がピアノ、エレクトーンなどの鍵盤楽器を教えた時間は10000時間を越えているはず。偉そうに大学院の講義などもしていますが、子どもに鍵盤を教えることのほうが向いていると思っています。

 続けたかった理由は、完全年功序列の中で感覚が鈍化するのが嫌だったからです。
 
 つまらないレッスンをしていると生徒は来ないし、辞めていきます。ピアノ(音楽)教室は音大を出た女性の内職と思われがちですが、ピアノ(音楽)教師のほうが実はずっと厳しい面がある。

 そして、何よりも子どもから得られるものって大きいです。
 アプリを教えてくれるのも子どもたちです!

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難民キャンプを訪ねる

 2月13日

 8日~12日、在日難民のココラットさん、支援団の方々に同行し、ビルマ(ミャンマー)人の難民キャンプの中にあるヤウンニーウー学校を訪ねました。

 タイ・チェンマイから車で8~9時間。
 前夜チェンマイで買ったお菓子や、プレゼントするヤマハの電子キーボード、予備に大学から持っていったカシオの電子キーボード(+電池)などを積んでチェンマイを出発。覆ったビニール袋が砂塵でザラザラになってしまいました。

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 滞在したのはこのようなお家。

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 電気がないので夜は寝るしかない。
 昼夜の気温差がハンパではなく、ありったけのブランケットを“ミルフィーユ状態”にして体にかけて寝ることに。

 不思議なことがありました。
 過酷な状況なのに、日本では不眠症の私がぐっすり眠れたこと。やはり、日常のチマチマした事柄に非常にストレスがたまっているのだなぁと思いました。(天井にはバナナが吊ってあります。)

 普段の、着飾っている私の姿(らしいです)から想像できないかもしれませんが、意外にこれが私の「本性」です。

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 子どもたちの笑顔がいい。しかし、実際の難民キャンプは「収容所」のようなもの。職業に結びつく高等教育を受ける機会が乏しく、各国の支援が必要です。私はこれからもこの学校に寄付を続けようと思います。

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男はイケメンならアホでもええわぁ

 2月5日

 昨春の児童学科の卒業生5名を迎えて、恒例の就職応援セミナーを開きました。日曜日の午後だというのに会場は満席。採用試験や現在の職場環境などの話が聞けるというので、フロアも真剣そのものです(笑)。

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 私がセミナーを続けているのは、4年の間、保健、文化、表現、心理などの面から、子どもについて勉強した彼女たちの能力が社会で生かされ、“人(男)並み”の生活が保障されることを願っているからです。

 個人的に残念なのは、子どもが好きだからこそ、子どもが生まれたら仕事を辞めると思う、と言う女子が多いこと・・・。

 子どものプロだからこそ、大勢の子どもの役にたってほしい。
 一旦辞めてしまうと、再雇用されたとしても給料がガタ減りになるよ。

 昔、私が若かった頃、「女はかわくてバカがいい」と言っていた男たちが大勢いました(そう言っていた男たちも大抵バカでした)。

 「男はイケメンならアホでもええわぁ」と言う女子が現れ始めたとき、女性の仕事とされてきた職種の給与水準や働く者としての権利意識の低さに気づくでしょう。
 早くそういう時が来てほしいです。


揺らぐ楽器像-電子オルガンのアイデンティティと普及

2月1日

 先月、久しぶりにエレクトーンを演奏したのを機に、15年前に書いた論文を読み返してみた。

 揺らぐ楽器像-電子オルガンのアイデンティティと普及 平成9年8月(1997) 全日本電子楽器教育研究会論文集

http://www.ongakukyouiku.com/datafiles/EMIES1997/EMIES1997_Fukami.pdf 

 あの頃の、エレクトーン界に対する違和感が蘇ってきた。
 15年の時が流れ、私が危惧したことがほぼ当たった。
 エレクトーンが好きだったし、今でも弾いていて楽しいと思えるからこそ、溜息が出そうだ・・・。


シミが薄くなる・・ある翁推薦のウォーター

 1月29日

 今年のお正月にいただいた年賀状の中で最も印象に残った文章は、私が東京藝大を受験したときに個人的に指導を受けた、同志社大学教授(元大阪大学教授、音楽学)、根岸一美先生(男性)の次の一文です。

 ついでに翁らしくない話で恐縮ですが、一昨年の夏からたまたまゲロルシュタイナーというドイツの高硬度の炭酸水を愛飲し始めたところ、もちろん因果関係とは判りませんが、長年右目の脇にあったかなり大きなシミその他が徐々に剥がれてきて、ついに消えてしまいました。(中略) ~~~他愛ない話でした。

 最近、ダイエットに効果があると女性の間で話題の炭酸水。

 炭酸水を食前に飲むと胃が一杯になってあまり食べられない→食事量が減る→痩せるというのは当然なのでバカバカしいと聞き流していましたが、
 
 美容にあまり関心がないはずの、
 ゲロルシュタイナーを宣伝しても彼には何も得はないはずの、
 しかも65歳男性の、
 
 「シミその他が徐々に剥がれてきて・・・」には大変興味が出て、その後私も時々飲んでいます。

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 ゲロルシュタイナーを手に取るとき、シミが剥がれる期待とともに、30年前、月2回ほど通っていた大阪・箕面の根岸先生宅を懐かしく思い出しています。

 たくさんの本で家が傾きそうでした。美容に関心があるとは到底思えない。だからこそ確かな情報かもしれないです。


勝利の女神、微笑む

 1月24日

 20年ぷりにホールでエレクトーンを弾きました。20年来の友人、エレクトーンプレイヤーの海津幸子さんと初めての共演。(1月22日 京都女子大学ニューイヤーコンサート2012 びわ湖ホール 大ホール)

 イタリアでの交通事故で下半身7箇所を骨折してから5ヵ月と12日、まだ松葉杖が必要ですが、海津さんにとってこのコンサートが復帰公演となりました。

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Date: Thu, 08 Sep 2011 02:50:09
実はイタリアで交通事故に遭い(8月9日)入院中です。
左足首骨折、右大腿骨骨折、骨盤損傷、肋骨にヒビと大仰な事になってしまいましたが、日に日に回復し精神的にも元気です。
ただ現時点でまだ帰国日程が決まっていない状態です。
12月までの演奏の仕事は全部キャンセルしましたが、深見さんとのびわ湖ホールから復帰したいと考えています。
通常考えると無謀なことの様ですが、帰国して日本の医師に相談し、リハビリを一生懸命すれば何とか行ける様な気がしています。

ええっ!! なんということ!
今から寝ようと思って、目が醒めてしまいました。
田中純さんはまだ知らないのですよね。海津さんにピアノ用の楽譜を送ったと、きょう言っていました。
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 このメールのやり取りから始まった私たちの闘い。
 勝利の女神が微笑みました。
 彼女の“類まれな”体力と“楽観をベースとした”気力、私の判断力と“最悪を想定しつつも、前向きに頑張る”気力が勝因だったと思います。


「結婚したい男性」の職業の上位は「海賊」

 1月14日

 今週読んだ文章の中で印象に残ったもの~その1

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 ソマリアでは、「結婚したい男性」の職業の上位は「海賊」。頭ごなしの説得や武装解除では根本的な解決にならず、意識改革が必要だ。
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 「結婚したい男性」の職業No.1が「海賊」という国もまだあるんだぁ。

 「普通、ここで確認するでしょ。」という所で確認しない人や、
 非常に能率の悪い人、
 人に無意味な書類を書かせて満足している組織・・・

 今週、うんざりすることが多かった私は少し気を取り直しました。


サバティカル・イヤー

 1月8日

 今年は4月から1年間大学をお休みします。私が勤める京都女子大学は仏教系の大学なので、サバティカル制度はなく、正しくは研究員制度です。

 振り返ると、31歳のときに大学院に進学して39歳で常勤の大学教員になるまで8年かかりました。
 富山大学教育学部には8年居ました。
 2004年春に京都女子大学に移って8年が過ぎようとしています。

 その間、16年に及ぶ東京との二重生活。
 単身赴任ではないですよ。一人で2地点に居るわけだからかなり大変です。

 「ちょっと一休みにしてもバチ、あたらないよね」と思っていた私に、大学院の指導教官、山本文茂先生から年賀状が届きました。

 「サバティカルイヤー。すべてを忘れて本質に迫って下さい。ご自愛の上で。」
 
 勉強しなきゃ。


20年ぶりのエレクトーン演奏

 1月7日

 京都女子大学ニューイヤーコンサート2012(滋賀県芸術劇場 びわ湖ホール、大ホール、1月22日)でエレクトーンを弾くことになりました。 私にとっては20年ぶりのホールでの演奏、しかも初めての大きなホールでの演奏になります。

 http://www.kyoto-wu.ac.jp/chiikikoryu/koza/201201.html
 
 14歳のときにピアノを辞めた理由は、表向きには「音楽以外の分野に進みたい」でしたが、実際は、発表会になると決まって「過敏性大腸炎」の症状が出るからでした。自分の出番が近づくとトイレに行きたくなる(しかし、お腹を壊しているわけではないので、何も出るわけない)。これはかなり辛かったです。

 22歳のときに始めたエレクトーンも、演奏グレード3級は一発で合格したものの、コンクールでは神戸地区の一楽器店の予選大会であえなく敗退。

 本番に弱い、“ノミの心臓”の私が大ホールでの演奏に耐えられるのか。今年のお正月はこれまで経験したことのない緊張感で一杯。最高裁の法廷で裁判官たちを前に論述するほうがずっと、ずっと楽です。
 
 でも、昨日、共演者であるエレクトーン奏者、海津幸子さんと一緒に練習して、演奏するって楽しいなぁと思いました。1990年代の前半、海津さんと私は高崎芸術短期大学(現在の創造学園大学、群馬県がその大学には行くなと県下の高校に通達した(!)といわれる大学です)でエレクトーンを教えていました。

 その後、彼女はエレクトーン奏者に、私は音楽教育の研究者に。今回の共演がきっかけとなり、いろいろな出来事を思い出しています。


謹賀新年2012

 1月1日

 新年おめでとうございます。
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