2月14日
東京都新宿区若松町38-20に「深見友紀子ミュージック・ラボ」を開業して、きょうで20年です。
今までに存続の危機が2度ありました。
1回目は、開業翌年の1993年夏、地下の排水ポンプが故障して、楽器類が浸水したときです。この年は、双子の出産で次男が亡くなるなど、不運な一年でした。
しかし、不幸中の幸いというか、原因は集中豪雨だったものの、100%人災という判定が下り、保険金(修復工事代金250万全額)が出たうえに、10%の見舞金までもらい、そのお金で「慰安巴里旅行」へ!
2回目は1996年春、遠隔地にある富山大学の助教授に採用されたとき。一般的に定職に就くと、「内職はポイ!」する人がほとんどですが、私は続けることにしました。
人間は、あることに10000時間かけると、一流になるらしいです。おそらく、私がピアノ、エレクトーンなどの鍵盤楽器を教えた時間は10000時間を越えているはず。偉そうに大学院の講義などもしていますが、子どもに鍵盤を教えることのほうが向いていると思っています。
続けたかった理由は、完全年功序列の中で感覚が鈍化するのが嫌だったからです。
つまらないレッスンをしていると生徒は来ないし、辞めていきます。ピアノ(音楽)教室は音大を出た女性の内職と思われがちですが、ピアノ(音楽)教師のほうが実はずっと厳しい面がある。
そして、何よりも子どもから得られるものって大きいです。
アプリを教えてくれるのも子どもたちです!