2014年4月16日
京都のマンション近くに出来たホールフードカフェ。
体は食べ物で作られることはわかっているけれど、こういうご飯を作ってくれる主婦(主夫)に恵まれない私は、作ってくれるプロを見つけて暮らしています。
世の中で言われる「ご馳走」=豪華な食事には関心ないけど、私の体にとっての「ご馳走」には自然と目も舌も肥えてきました。
深見友紀子のワーキング・ノートブック(2009~2014)は、2015年3月をもって終了しました。次は、ワーカホリックの私が隙間の時間で取り入れている、オーガニックフード、ヨガ、アンチエイジング医療、化粧品、アクセサリーなどに関する情報をお届けする新しいブログを計画中です。
2014年4月16日
京都のマンション近くに出来たホールフードカフェ。
体は食べ物で作られることはわかっているけれど、こういうご飯を作ってくれる主婦(主夫)に恵まれない私は、作ってくれるプロを見つけて暮らしています。
世の中で言われる「ご馳走」=豪華な食事には関心ないけど、私の体にとっての「ご馳走」には自然と目も舌も肥えてきました。
2014年4月14日
2010年2月に始めたヨガ。ついにきょうで400回達成!
4年前まで運動はまったくしていなかったし、幼い頃から運動神経が悪く、体も硬いけれど、少しずつ向上していると思う。
夏休みなどの休み期間には、同系列の東京のヨガ教室に行く。
大学が始まり京都の教室に行くと、「ブランクあったのに進歩しますね。」と言われる。
反対に東京の教室では、「ずっと来てなかったのに、家でやっていたのですね」と言われる。
私はダブルスクールをして、ようやくここまでなんだ・・・。
ヨガをやると、気づかなかった体の調子がわかる。
ウッティタハスタパダアングシュタアーサナ(バランスのホーズ)でも、かなりぐらつく日やすんなりとできる日がある。
今年の目標はバックベンドができるようになること。
「そんなのも出来ないの?」と言われそうだが、この歳になって去年できなかったことが今年できるというのは凄いことです。
ヨガボーズ集
http://www.noa-yoga.com/pose/19745.php
2014年4月8日
00年代から現在まで、研究面で「低迷の時代」が続いている。努力が足りなかったのかもしれないけど、時流にも乗れていなかった。そんな思いを、音楽教育実践ジャーナルの「特集の総括」で書いてみました。
特集の総括─ 深見友紀子 ─
このジャーナル特集を企画するにあたっての原点は,「音楽科教育と電子テクノロジー」の20年を振り返ることであった。なぜ20年かというと,学校にDTM(デスクトップミュージック)が普及し始めたのが約20年前だからであり,そこから現在までを振り返り,今をみつめ,未来につなぎたかったからである。
20年前というと,私は「電子楽器の教育的可能性―メディア論からのアプローチ」(東京芸術大学,1991年度修士論文)を書き,研究者としての道を歩み始めた。その頃は電子楽器の音楽教育における有効性をアピールしようという気持ちが強かったので,DTMにはあまり関心がなく,私にとってのPCは,自らの演奏をサポートするもの,ピアノのレッスンで補助教材としてハイパーカードを提示するときに使うものに過ぎなかった。
そんな私に転機が訪れたのは,富山大学に赴任した1996年である。当時の富山大学には,今回のジャーナル特集に寄稿した堀田龍也さんがいた。堀田さんらに「深見さん,音楽ってマルチメディアの中心なんだよ,それにインターネットも活用しなきゃ」と励まされ,私は「富山大学開学50周年記念マルチメディアコンサート」(1999)を監修し,「オンライン音楽室」(2000)を企画した。また,インターネット上の音楽教育情報の整理などに携わり,それらの成果を本学会のワークショップで発表したこともあった 2004年,現在の勤務校である京都女子大学に移った。所属したのは保育者養成学科であったため,音楽科教育におけるICTについて考える機会はなくなってしまった。本学会で2回にわたってピアノ弾き歌い実技のeラーニングについて研究発表をしたことがあったが,フロアの関心が低いことは如実に伝わってきた。ちょうど同じ頃から,他の研究者らによる電子テクノロジー関連の研究発表も目に見えて減っていった。
一般社会における情報化はさらに加速しているのに,いったいどういうわけなのだろう。私が保育者養成系に移ったから?私一人の力ななど微力だから,まさかそのようなことはないはずだ……。eラーニング研究が一区切りついたので,この謎を解き明かそうとサバティカル(研究休暇)を取ることを思いついた。そして,2012年4月から1年間,放送大学 ICT活用・遠隔教育センターにおいて「なぜ音楽の授業でICT活用が進まないのか」をテーマに研究することになった。
大学校務が免除された一年間,私に与えられた多くの時間を生かし,教育工学関連,電子教材やデジタル教科書関連の研究会などに顔を出したが,音楽科教育の研究者と出会うことはなかった。2012年8月には音楽学習学会第8回研究発表会に参加し,大熊信彦氏(文部科学省初等中等教育局教育課程教科調査官)の講演,「新学習指導要領(音楽)が目指すもの」を聞いたが,各教科でICTの活用が謳われているにもかかわらず,90分の講演の中で一言もICT,電子テクノロジーという言葉が出てこなかったことには非常に驚いた。音楽科は本当にこれでいいのだろうか。
このジャーナル特集は,なぜ音楽科がこれほどまでにICTに無関心になったのだろうかという疑問から生まれた。本学会や編集委員会にそうした問題意識があったのではなく,私の問題意識に対して,共同編集者の永岡都さんが共感してくれた結果,「音楽教育と電子テクノロジー」というテーマが具体化したのである。
編集作業を終えて,この20年間を振り返ることを出発点にして良かったと感じている。DTMの隆盛期であった前半の1990年代からの変化を捉えることにより,2000年以降,なぜ音楽科教育においてICT活用が不活発になったのかを紐解くことができたからである。楽器メーカーの方々のお話がとりわけ有効だった。あらためてご協力に感謝したい。
だが一方,これまでの経緯を正確に理解することは,現在の諸問題を解決するための必要条件に過ぎない。実際的な解決は,やはり関係者の意識改革や努力なくしては難しい。
現在,他教科と比べ,音楽授業におけるICT活用に取り組む人の少なさは異常なほどである。初山正博さん(第1部,p.27)が提案したような方向で,是非とも現場の特に若い先生たちに議論をしてもらいたい。また,現場の先生方を支援し,企業と協力関係を結ぶことができる若い研究者の登場にも期待したい。研究組織には師弟関係がつきまとうが,師と同じ路線の研究をしていたのでは,似たような景色しか見ることができない。常に変化しつつあるICT
を研究するには,従前の音楽教育研究では経験したことがないような立ち位置,スケール,スピード感が求められるだろう。
本ジャーナル特集には,鈴來正樹さん,中西宣人さんら若い実践者が寄稿してくれた。鈴來さんは,電子打楽器奏者でありながら小学校音楽専科教諭の経歴を持つ,音楽教育界と電子楽器演奏の世界を結ぶ人である。また,新しい概念に立脚した電子楽器を開発している中西さんは,音楽教育界と工学界との距離を縮める逸材となることだろう。中西さんの今回の論文はその布石となったと感じる。
第2部に実践報告を寄せたのは,ICTに対する周りの関心が薄いという状況にもかかわらず,学校教育および大学教育において,日々 PCやICT機器の活用に取り組んできた方々である。今後もそれぞれの研究が深まることを願う。
今回のジャーナル特集では,テーマの副題を「『共有』と『発信』を目指して」とした。おそらく前述の若い二人は,SNSなどを活用して,「共有」「発信」を日常的に行っているはずであるが,学校現場では様々な制約があり,その実現が困難である場合が多い。それでも,新しいメディアを主体的に使って,子どもたちが〈楽しい〉〈わかった〉〈できた〉を「共有」すること,そして,〈楽しい〉という気持ちや〈わかった〉〈できた〉という喜びを「発信」すること,それらの積み重ねが新しいリアルな音楽学習を形成していくことに期待したい。
井手口彰典さん(第3部,p.77)は,「情報化,まだ進めますか?」と語りかけた。私自身は,大学の保育者養成学科および音楽教室という比較的自由な環境に身を置いているので,これからも積極的にICT機器を使った実践活動を
繰り広げていくつもりである。
そして,音楽科教育の関係者には,次のように問いたい。「情報化,まだ進めなくてよいのですか?」
2014年4月5日
日本音楽教育学会の『音楽教育実践ジャーナル』、特集「音楽教育と電子テクノロジー」が無事出来上がりました。
企画と構成、インタビューのまとめ、執筆陣への依頼、届いた原稿の校正など、全部やらなくてはならなくて、寝るのが3時を過ぎる日もあって、美容と健康に悪かったこと、悪かったこと。
この学術雑誌が、2014年春の時点で音楽教育界においてどのように評価されるかはわからないです。
でも、スタイリストの大草道子さんの言葉、「仕事で100%の力を発揮するのは当たり前。雑誌では150%を注いで、やっと少しよくなって、200%やらないと読者に届かない。私は250%を目指して走っている気がします。」をあてはめてみると、
150%はやった、ということにしておきます。
この仕事で、一緒に編集をした永岡都さんや編集委員長の尾見敦子さんといった同世代の音楽教育研究者の底力も見たし、いい仲間に恵まれたと思います。
2014年3月31日
今月は旧友、海津幸子さんとモロッコ周遊に出かけた。
一般の団体旅行と同じ料金なのに、ラッキーなことに現地では我々だけの専用車、日本語がかなり上手な専属ドライバー、各スポットで専属ガイド(英語)がつき、出発の時間を一時間遅くしたり、自由にできた。娘が旅行会社に勤めるようになり、アレンジしてくれたのだ。
海津さんとは30代、ヨーロッパの各地を一緒に旅行した。15年以上ぶりの旅行で海津さんがちょっと驚いたのは私の体力だった。
「昔は、ここらでちょっと休みたい・・」とかよく言っていたよね、と海津さん。
ヨガのおかげか、まず同世代に体力面で負けることはほとんどなくなった。
それにしても、モロッコは遠かったなぁ。
2014年1月27日
大学の授業は90分経てば終わるし、レッスンは40分経てば次の生徒が来る、時間管理が簡単な仕事である。
もちろん準備などに人には推し量れないほどの時間を使っている場合もあるが、大学からもらっている年俸を、「授業」と「会議その他」に大雑把に分けて、その「授業」の部分を年間授業数で割れば、一回の授業の単価は決まる(受講者150名の授業も、2人の大学院ゼミなども一括りだけど・・)。レッスンも月謝を回数で割れば、一回のレッスンの単価は出る。
私の仕事の多くが、このように時間単価で流れているなか、寄稿文や論文執筆、学会発表などの仕事が入ってくると、時間配分にひと苦労することになる。
昨年来、精力を傾けている音楽教育実践ジャーナル「音楽教育と電子テクノロジー」の編集の仕事は、その最大級だ。
この年末年始はこれに明け暮れた。1つの論文を校正していると、あっという間に夜になり、肩こりが酷くなっただけの「休日」が続いた。
おそらく、1991年の修士論文から20年以上経ち、一度真剣に音楽教育と電子テクノロジーについて考察したいと心のどこかで思っていたのかもしれない。日本音楽教育学会学会誌編集委員を頼まれ、その機会に恵まれることになった。
普段の私の専門は子どもの音楽とピアノ。ワードやエクセルは不得意だし、日本の音楽教育と電子テクノロジーを総括できる人には自分でもとても思えないのだが、若い頃、必死で電子楽器について考えた「貯金」は大きいようだ。何とか踏ん張っている。
一日20分は歯を磨いているのに、最近虫歯が出来た。
眼精疲労で眼科の診察を受けると老眼が進んでいた。
ヨガに行く回数も最近、少し減っている。
修士論文を書いた33歳の時ほどの若さはないので、仕事が体を蝕んでいく(笑)。でも、電子テクノロジーを活用した音楽教育実践を文字で記録し、表現していくのは、私の役割だということを再発見した。
29日には印刷屋から初校が出てくる。後少し、頑張ろうと思う。
2013年11月14日
後期に入って2カ月ほど経ちました。
前期と比べて2倍以上の授業数。
卒論指導。
児童学科のイベント。
学会ジャーナルの編集。
論文の校正。
科研の申請。
ミュージック・ラボのレッスン。
その隙間にヨガレッスンと自然食レストランに行き、世の中の空気を感じるためにほんの少し買い物に出かけると、もう時間が一ミリも残ってないです。
研究休暇だった昨年度の比べると対照的な日々。この暮らしが健康に与える悪影響はありそうです。
年末に受ける予定の「アンチエンジングドック」の結果がちょっと心配になってきました。
こんな生活なのでfacebookを見る時間もなくなりました。
「メールに返信もらってないです」と学生に言われるようになり、とりあえず冬休みが待ち遠しい。
トップページだけは更新していこうと思います。
http://www.ongakukyouiku.com/
2013年8月6日
久々に硬派な文章を書くことにします。
29歳で(1986年)ようやく大学を出た私は、31歳のときに妊娠し、32歳で第1子を、35歳で第2子(双子の一人は死産)を産んだ。
1993年以前は30歳以上の初産が「高齢初産」と定義されていたため、第1子を妊娠したとき、自分は大学は出たばかりだけど、子どもを産むのは遅いぐらいという意識があった。
キャリア志向だった私が、社会人になって3年目(大学院1年目)に子どもを産もうと決めたのは、産んでくれるだけでいいという“世にも珍しい男性”が現れたから。
当時、父母がいて、子どもがいるという家庭に私はほとんど興味がなかった。今では“出来る女性の選択”の一つでもあるシングルマザーも、私にはあり得ない選択だった。
強いて言えば、男ではないので徹底的に隠すことはできないが、「隠し子」が欲しかったのだ。
お腹が大きくなってきても一向に「結婚」しない私に、大学院の指導教官も心配したようで、その“世にも珍しい男性”を研究室に呼び出したりした。
あれから四半世紀。 先日アエラを読んでいたら驚くような記事があった。
「卵子老化前に独身で『卵活』」
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未婚者でもできる未受精卵の卵子凍結-。
「これさえできれば、20代の卵子を保存できるから、心おきなく仕事に打ち込めます」
10人の男友達にリサーチした。 「35歳になったただの私と、20代の卵を持っている35歳の私、どっちがいい?」 8人が「20代の卵あり」と答えた。中には、彼女が卵子凍結したいと言うのなら凍結の費用を出してもいい、という男性もいた。
「経済的に不安な男性も増えているから、いま稼ぐ女性は人気がある。稼ぐ女性が、若い卵を持っていたら無敵。私はそれを目指します」
「出産時期になるべく制限がない状況をつくることで、女性が自分の価値観や意志で人生を選択できるようにしたいのです」
海外では大学入学祝いに親が娘に卵子凍結を勧める例もある。
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もし私が子どもを産もうと思っていた頃に、この卵子凍結の技術があったら、自分の卵子を凍結していただろうか。
よくわからない。
費用も何百万とかかる。
凍結しておいたところで、将来相手が現れるかどうかわからない。
仮に相手がいたとして、受精できるとは限らない。
私の辿った道を振り返ると、34歳で大学院を出て、5年間の非常勤講師時代を経て、39歳のときに国立大学(富山大学)の助教授になった。
「子どもを産んだのに頑張ったのね」と思う人もいれば、「子どもを育てていないのに、5年もかかったの?」と思う人もいるだろう。
39歳から二重生活になり、そして、それが、もう18年も続いているのだ。
確実に言えるのは、私が40歳の頃は、たとえ凍結しておいた卵子があったとしても、とても子どもを産めるような状況ではなかったということ。
もう一つ感じることがある。
子どもとの年齢差である。
音楽教師の私は、小学生や未就学児に教えているが、今の私に小学生の子どもがいたらおそらく辛いだろう。
時代によって多少変化するとはいえ、やはり、親と子どもにはある望ましい年齢差があると思う。
未受精卵の卵子凍結-。 詳しい記事は以下。
http://dot.asahi.com/aera/2013080700040.html
2013年8月2日
昨年度、研究休暇だった時の私の手帳。
月曜日には市場に出かけ、火曜日には友達と会った・・。
ロシアの「一週間」みたいな日々だった。
忙しくなったけれど、4月~7月の122日間に41回ヨガに行った。
90分のレッスンと前後の時間を考えると2時間×41。
映画を何本見れるだろう・・。
でも、仕事を入れ、次にヨガを入れる・・・。
この毎日を、当分崩したくはない。
2013年7月31日
前期の授業が終了。
児童学科には楽器や歌が好きな学生が一杯います。
授業では歌を歌ったり、合奏をしたりして楽しく過ごしました。
学生たちからヒントをもらえることも多いし、申し分のない素直で優しい乙女たち。
でも、もし贅沢なことが言えるのならば、私はICTに関する研究がしたい。
大学教員として、研究者としての残りの年月を考えると、[ICT×音楽教育]に集中したいという気持ちが大きくなっている今日この頃です。