記事一覧

 深見友紀子のワーキング・ノートブック(2009~2014)は、2015年3月をもって終了しました。次は、ワーカホリックの私が隙間の時間で取り入れている、オーガニックフード、ヨガ、アンチエイジング医療、化粧品、アクセサリーなどに関する情報をお届けする新しいブログを計画中です。

当たるも八卦、当たらぬも八卦

 2015年3月19日
 
 私の理想の暮らしはホテル暮らしです。

 もう30年以上、ずっとそう思っているのですが、いつまでも思っているだけでは情けないので、まず京都でホテルライクな暮らしができそうなマンション(中京区東洞院)に引越しました。

 ホテルだと隣の部屋の音が聞こえたりするけれど、上からも横からも何の音もしないです。
 
 部屋にたどり着くまでにセキュリティが2箇所もあり、宅急便の人も邪魔くさそう。叫んでも誰も来てくれなさそうでかえって怖い。

 トイレの水の流れが悪いと「コルシェルジュ」に言うと、その人とリペアマンが10分後に来てくれた。ベッドメイキングは自分でしなければならないけど、東京の一戸建ての自宅のことを思うと本当に楽。一歩前進しました。


 ♪お風呂が沸きました♪の音楽が「人形の夢と目覚め」ではなく、緊急地震速報のようだし(笑)。お風呂にはそサウナもあってどう使っていいのかわからない。

 自分に必要なものと必要でないものがわかってきました。
 大きなダイニングテーブルを仕事机に買いました。これは必需品。

 占いによるとここでの暮らしは長くはないそうで、また引越しするそうです。

 当たるも八卦、当たらぬも八卦。
 さて、どうなるでしょう。

 【追記】
 6年間不定期に書いてきたこのノートブックを終了することにしました。
 オフィシャルサイトはずっと続けますので、今後ともよろしくお願いします。バリ島・ウブドにて。

 


63歳から始めることで?

 2015年2月19日

 昨年9月、スリランカで80歳代の男性占い師に占ってもらった。

 スリランカの人は、経済的に豊かであること=幸福とする傾向があるように感じた。

 「あなたは19歳までとても幸せだった。」

 そうかな~。高校時代なんて特に何の目標もなく生活していたけど。

 「19歳から39歳まではサタン(災禍の魔神王)。・

 そうかな~。すごく充実していて中身の濃い年月だったけど。

 「39歳から現在は安定。しかし、40代後半は停滞。」

 当たっている‥。どんな占いでも、私の人生は39歳で安定する(安定した)といわれる。39歳は富山大学に勤めるようになった歳だ。

 「あなたにはコンピュータが合っている。」
 「一カ所に定住するのは向いていない。」

 このスリランカ男性占い師は、私が音楽家でICTの研究をしていることも、二重生活をしていることも知っているはずがないので、かなり勇気づけられた。

 そして、63歳から始めることによって83歳で「表彰」されるらしい!!!

 そろそろ私ぐらいの歳になると、同じことを繰り返し、その場をしのごうとする人が多くなる。というよりも、同じことを繰り返すことしかできなくなってしまうのかもしれない。 

 夏野剛さんは、三木谷浩史さんとの対談で次のように言っている。
 
 「50代だね。なんか「他で何にも出来ないから今の会社にいたい!」みたいな感じでしょ。そりゃないだろうと。だったら安い給料で我慢しなさいっていう話で。そういう貢献と報酬のバランスを各自が意識したほうがいいと思うんですよ。そうしたら他のことをやったほうがいいかもしれない。」

 50代の、しかも後半の私は、30年間積み重ねてきた音楽教育の仕事で、報酬に見合った貢献をしつつ、他の新しいこともやろうと思う。もちろん趣味ではなく、仕事で!


運気が上がるはずだったのに‥。

 2014年12月5日

 経度78度に旅行すると運気が良くなるとある占い師に言われ、単純な私は9月初旬、スリランカに行ってきた。

 女性誌にも時々取り上げられているアーユピヤサ


 アーユルヴェーダとオーガニックフードとヨガ三昧の6日間を過ごした。体に良さそう~。

 ファイル 294-1.jpg 
 アーユルヴェーダのベッド
ファイル 294-2.jpg 
 オーガニックフード
ファイル 294-3.jpg 
 早朝ヨガ


 日本に戻ってくると、ヨガの先生に髪の毛が元気になっていると言われ、喜んだのも束の間、タクシーのトランクに「全財産」が入ったキャリーを置き忘れてしまった。

 「全財産」とは、ノートPC、iPad、外付けHD、ポケットWiFi、手帳‥。個人タクシーだったので発見が遅れ、手元に戻るまでの45時間、生きた心地がしなかった。6日間にゲットしたプラスがゼロになったかもしれない。

 後期の授業開始早々、とんだ災難。

 でも、「開運旅行」に行っていたのだから、もう大丈夫と思いきや、2週間後、バスから降りた時に道路面がでこぼこだったので躓き、激しく転倒してしまった。左手にはめていたブレスレットが切れたが、ブレスレットが守ってくれたので、左手は擦り傷で済んだ。

 が‥、1日経つと、今度は右足首が痛いことに気づいた。整形外科に行くと、足首の靭帯が損傷していることがわかり、ヨガを2カ月も休むことになった。

 運気が上がるはずだったのに‥‥。


不思議な偶然、ドアのデザインが同じ

 2014年8月30日

 滅多に起こらないだろう不思議な偶然があった。「それってオカルト級だよね」と言った友人もいた。

 偶然とは、以下の2枚の写真である。人間関係の説明がとてもややこしいので、すみません。。

 ファイル 292-1.jpg
ファイル 292-2.jpg

 1枚目の写真は、神保町にあったレンタルギャラリーのエントランス。私のかつての事実婚相手であり、私の子どもの父親でもある男性が、私と別れた後に再婚した女性が運営していたギャラリーである。2007年から4年間開いていたが、4年目のある日、突然「〇○ギャラリーを4年間、支えてくれたみなさまへ。急ではございますが、本日をもちましてこのギャラリーは閉廊させていただきます。」とブログに書いてクローズ。既にホームページはなくなり、その場所には次のテナントが入っている。

 2枚目の写真は、2003年から6年間、私の自宅に暮らしていた男性の、現在のパートナー女性が運営する、レンタルギャラリーのエントランス。今年のはじめ、千駄木にオープンしたらしい。(2009年当時、その男性も女性もそれぞれ別の人と婚姻関係にあったが、その後、それぞれがその関係を解消し、結婚したのかどうか、私は知らない。)

 びっくり、ドアのデザインが同じだ。

 1枚目は道路に面した独立したギャラリー、2枚目は男性の事務所の空きスペースを利用したギャラリーという違いはあるものの、ドアのデザインが同じなのである。それゆえ、エントランスの雰囲気も同じ。

 これは何かの因縁かも・・。私の「磁場」ゆえか、こういう偶然は今回が初めてではない。

 神保町のオーナーは、夫も東京藝大美術の出身だし、自身も美大の通信制を出ているので、ギャラリーを運営するという選択肢は十分ありえたが、千駄木のオーナーの場合は、パートナーは芸術関係ではないし、自身も違うと思うので、驚いた。

 私が直接聞いたのではないけれど、神保町のオーナーは「美術家を応援したい・・」と言ってギャラリーを始めた。千駄木のオーナーも同様のことを言っている。
 
 でもね、本当に応援したいのならば、“短期的に投資し、一気に回収する商売”ではないのだから、設備備品の減価償却も終わらないうちにクローズしてはだめだと思う。意地でもやり続けなければ、いくら高い理想を述べても、単なる趣味であることがばれてしまうよ、と思った。
 
 振り返れば、それぞれの男性と私との軋轢は、神保町のオーナーのパートナーの場合は、収支を度外視した古美術文庫を始めたことから始まった。千駄木のオーナーのパートナーの場合は、100%持ち出しの市民活動にのめり込んだことから始まった。

 現在、前者は美術とは関係がない仕事をしていて、古美術文庫は廃屋状態である。後者は、仲間が次第に離れてしまい、相当な決意表明をして再開した活動も続かなかったと、仲間の1人だった方が私に教えてくれた。

 皮肉なことに、彼らを趣味に走らせた原因は、趣味で仕事をすることを否定する私にあったりするのかも。そして、本来、趣味が好きなので、パートナーが趣味で活動をしていても気にならないし、そのせいで自分は趣味をやれなくにはなったことにはなるべく気づかないようにしているのもしれない。

 人生とは本当に皮肉なものだ。
                           
                         


読んですっきりした記事

 2014年8月22日

 随分前のAERAに、スタイリストの大草直子さんの記事が出ていた。

 今、こういったはっきりした物言いがしにくい雰囲気があるので、読んですっきりした。

--------------------------
 相手は有名大学出の有名企業勤務で、「スペックは望み通り」。しかし、結婚後に湧き上がってきたのは、「こんな小さなところに閉じ込められていいのか」という苛立ちだった。

大草がフリーランスになったころ、仕事現場では、「“ファッショナブル”と子育ては両立しない雰囲気」がまだ主流だった。それ以前に、仕事にプライベートを持ち込むことは、プロとしての意識が許さず、妊娠も出産も当初は周囲にできるだけ知らせずに仕事をしていた。

ところが、しばらくすると、今度は「仕事も子どもも」が“ファッション”になった。仕事先の雑誌で自分が「ママスタイリスト」と紹介されたことに愕然とし、「ママを取ってもらっていいですか」と交渉したが、一方で、その編集部に子どもを連れてきて、トロフィーのように見せびらかす同業もいた。

 「子どもを理由に仕事に穴をあけることは、私にとっての絶対のタブー。風邪をひかせてなるものか、と鬼のように緊張していたけれど、『子どもが熱を出したので、仕事には行けませーん』と言ってくる人もいて、心の中で『バッキャローッ』と叫んでいましたね」

 「稼ぎのいい旦那を持って、自分もそこそこの仕事をしていて、子どももかわいくて、料理もうまくて、きれいな女、というのが持ち上げられる。それって一見すると女性の理想に思えるけど、実は、男性社会にとって都合のいい理想に過ぎないんじゃないか」

 他人から「大草さん、ラッキーで恵まれているよね」と言われると、「いやいや、あなた、何言っているの」と、思わず髪が逆立つ。「女が家族を養うって、どんなに大変なことか。私は頭にハゲを作りながら、人の10倍努力して、10倍働いてきたんだよ。」


私のワークライフバランス

 2014年7月21日

 ワークライフバランスの実現を進めている人たちが、「18時には仕事を終えて帰りましょう」と言っているのを聞くと、申し訳なく思ってしまう。私の場合、大学での労働時間(あくまでも授業について)は、月曜日10時35分から木曜日の16時30分で、しかも18時まで授業があるのは火曜日だけ(2014年度前期)、数字上は“ウルトラ短時間労働者”だからだ。

 ワークライフバランスとは、ワークを効率的に行って、ライフの時間を長くし、充実させるということらしいが、オンの時、私は本気を出さない。私の仕事相手はまだ知識のない大学生なので、常に伴走状態である。真剣ではあるが、私は全速力では走れないし、効率を求めることはできないのである。そして、全速力で走らないからこそ見える景色があったりする。

 一方、オフの時は、自分のペースでできる。別の仕事にのめり込んだり、考え続けたり、反対にぼっーとしたり、海外に出かけたり、本を読んだり、ヨガをしたり、買い物したり、人と会ったり、いろいろである。

 音楽家はオンの時には自分の練習はできないし、音楽の研究者はオンの時にはなかなか研究できないはずだ。

 公式には“ウルトラ短時間労働者”なので、もしライフがワーク以外の時間だとすると、ライフはすごーく長くなる。ただ私の場合、別の仕事や仕事関係の本を読んだりしている時間は、ワークの時間より長い。それをワークに含めてしまうと、”ウルトラ長時間労働者“に転落する。

 別の仕事には、楽しくて時間を忘れるような内容のものもあれば、苦しいもの、仕方なくやっているものもある。だから、ワークがどのぐらいになるか、算出するのは本当に難しいのだ。

 大学の授業であるワークと、楽しくて時間を忘れるようなワークだけしたいなぁ。そして、定年後は楽しくて時間を忘れるようなワークだけをしたいものです。


迷彩柄のワンピース

 2014年6月27日

 春、若松河田駅前のVogueというブティックのデザイナー、青山さんに迷彩柄のワンピースを作ってもらった。ちょうどその頃からますます迷彩柄が流行るようになり、目立たなくなってしまったけれど・・。
 
 よく見ると、花をモチーフにしていて、かなりフェミニンな1着です。ボレロとチョーカー付き。

 ワンピースのオーダーメイドは、これで2着目。
 私にとって楽しみの一つになり始めています。

ファイル 290-1.jpg
ファイル 290-2.jpg
▲クリックすると拡大します▼


 


オーダーメイドの服と「無印良品」

2014年6月20日

 冬物の黒いカーディガンを作ってもらったPridiaの浦野さんに、夏から秋に使える冷房対策用も兼ねたグレーのカーディガンを作ってもらった。

 ファイル 289-1.jpg
ファイル 289-2.jpg

生地が薄いので、付けるビジューの重さも、冬物とは違う。カーディガン一つなのにメールで画像を何度もやり取りをして、作ってもらった。

このように洋服やアクセサリーに関して周りの人が驚くほどマメな私だが、体に接するもの以外にはまったくこだわりがない。

こだわるのは体に接するもの・・化粧品や香水、傘、くつ、せいぜいバッグまでである。

それ以外のものには関心がないので、ここ数年、ほぼ「無印良品」に囲まれて暮らしている。(これもこだわっているといえばこだわっているのかもしれないけど。)

 お皿もコーヒーカップも、自分用は1つあればよく、割れたら補充する。

 冷蔵庫の中身も少ない。

 防災上好ましくないのかもしれないし、家族にもなかなか理解してもらえないのだが、冷蔵庫にたくさんの食糧があるだけで頭が働かない。リラックスし、考えをまとめるには、とにかくシンプルが一番なのである。

 ならば、体に接するものも同じものにすればいいのにと言われそうだが、これらは、私の心と体を元気にして、考えをまとめるのに絶対に必要なのである。

 全然論理的ではないなぁ。

 持っているアクセサリーは、当然「無印良品」の収納ボックスに入れている。これが合計4つ。冷蔵庫に入りきらないのではという声が聞こえてきそうである。

 ファイル 289-3.jpg


理科系と文科系の違い(論文)

2014年6月16日

 日本教育工学会論文誌 特集号「特集:情報化社会におけるインフォーマルラーニング」の目次を見て、ちょっとうれしかった。編集担当の方のものを除いて、投稿・採択された論文(資料)の中で、私が書いた「音楽教室における子どものインフォーマルラーニング」だけが単著だったからだ。

 ファイル 287-1.jpg
 ▲クリックすると拡大します▼

 音楽教育研究の分野では、論文であれ、著書であれ、単著のほうが目立つ(笑)。(演奏の世界も同じで、ソロリサイタル、しかも権威あるホールでの演奏のポイントが高く、ジョイントコンサートなどは全く「ゴミ」扱いされる。)

 一方、理科系は状況が違うみたいで、著者名がずらっと書いてあって、どういう研究組織であるかが大事なようなのだ。音楽教育研究の分野では、同じような状況でも、著者は実際に書いた人だけでよいという考え方が主流ではないかと思う。この考え方の違いは、論文数=業績の数に大きく影響してくる。00年代に入り、私の研究は低迷していたけれど、論文数は反対に多くなっているのは、このマジックによる。

 以前、ある教育工学の論文で、6名ぐらいの著者名の最後に私の名前が書いてあって、「何?私はどんじり?」と一瞬不満に感じたのだが、「中心となって執筆した人が先頭、その研究組織の一番エライ人が最後というルール」があるのを聞いて、「へぇ~」と思ったことがあった。私はその研究へのかかわりの濃淡で順番を決めていたからだ。

 理科系の人からすれば、「音楽教室における子どものインフォーマルラーニング」は、研究組織がなく、1人でやっている孤独な研究と思われているに違いない。

 まぁいいか。


歯科医の卵と弁当を運ぶ女~今は昔

 2014年5月17日

 こんな記事をみつけた。

 「儲かる時代はとうに終わった」赤貧・歯科医の告白・・5人に1人は年収300万円以下


 いまでは、定員割れも珍しくなくなった大学の歯学部もわが世の春を謳歌していた。

------------------
 「東大には歯学部がありません。そのため、(東京医科歯科大学歯学部には)東大合格を蹴って入学してくる学生も毎年何人もいました。最終学年になると大学付属の病院で、実際の患者を相手に実習が行われるのですが、歯科医師のタマゴと顔なじみになれると考えた女子学生が、痛もない歯を抱えて殺到したのです。三段重ねの手作りのお弁当をたずさえていた女性もいました。みんなうれしそうに食べていましたね」(東京医科歯科大学OBの歯科医師・50代)
------------------

 私は4年で東京医科歯科大学歯学部を休学し、同級生が後半年で卒業という、最終学年の10月に中退した。別の国立大学を受験するためには、現在在籍する国立大学を中退しなければならないと言われて、中退願を出しに行ったときに、たくさんの同級生たちと会った。

 「今から大学受験?」と何人かの同級生に言われた。

 その3カ月後、共通一次試験(現在のセンター入試)を受けて出直した私は、かなり長い間、おそらく40代に入る頃まで、遅れてしまった自分の人生を悔やんでいたし、今でも、この記事に描かれている同級生や手作りのお弁当をたずさえていた女性には負けるものかと思っていたりする。

 それにしても、50代のOBの歯科医師のコメントは、歯科医師~男、手作りのお弁当をたずさえている人~女とし、東京医科歯科大学歯学部は男子校かといわんばかりである。実際は当時でも1学年80名のうち12名は女性だったのに・・。50代の男性って、無自覚でこういう書き方をしたり、言ったりするのよね、とため息。
 同期だった女性たちが現在どうしているのかも、ほとんど知らない。
 もう遠い昔のことだ。


ページ移動