11月3日
親友の眼科医、Мさんと京都・堺町三条で会った。
2年半ぶりだ。
彼女と私は高校の同期生だが、高校時代は知らない同士だった。 出会ったのは予備校である。
2年以上も会えなかったのは、互いに週末は京都にいないことがほとんどなのと、彼女は手術の前夜は「静謐」をキープしたいのと、私も日々忙しく、予定がなかなか合わなかったからだ。
お酒が飲めるМさんは、外食をすると必ずお酒を飲むので、「静謐」をキープできないし、お腹を壊して、次の日の手術の出来に悪影響が出るのが厭なのらしい。
お酒をほとんど飲まない私は、外食したほうが家ではコップ一つ洗わず済むので、より「静謐」をキープできる。また、大人になってからというもの、一度も下痢になったことがないので、腹痛など想定外である。
このように、Мさんと私は多くの点で異なるし、日常生活での考え方や仕事での闘い方もおそらく正反対である。
しかし、今回、思いがけなく共通点を見つけた。
彼女が医師を目指すようになったのは、高校時代、小松左京の「日本沈没」(1973)を読んで、日本が沈没しても世界のどこかで生きていける職業に就きたいと思ったからだそうだ。
一方の私は、祖父や父のやってきた商売を継ぐよりも知的な仕事がしたい、できればその仕事で父より儲けたいと思っていた。
16、17歳の時に、女性とキャリアの話をもっとしたかったなぁ。
もう一つ、思いがけなく意見が一致したのが、高校時代の男性教員の中で、誰がフェミニストだったかということ。
一致した答えは、数学のI先生と物理のS先生。
I先生はわかりやすい方だったけど、物理のS先生がフェミニストであると見抜いていたのは凄い。私並みだぁ。
「物理の美しさを教えてもらった」とМさんは言ったが、物理嫌いの私は何が美しいのか理解できるわけはなかった。
「彼は独身だったし。」
それは知っていた。
藝大に通っていた20代後半、私は、上京したS先生とよく会っていた。わざわざやってきて、私と一対一で会う。フェミニストだという証明である(笑)。
Мさんと話していると、あっという間に夜が更けてきた。
40代の後半、Мさんは55歳で引退すると言っていたのだが、「引退しないの?」と尋ねると、「力が落ちていないから、60まではやる」と話した。
私は、その時も彼女に言ったように「生涯現役」を目指す。
「生涯現役」~これだけでは絶対にぶれないと思います。